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基礎知識 / 歴史

第一次世界大戦とガリポリ(First World War and Gallipoli)

ひとことで言うと

1914年8月、イギリスとドイツの開戦により、オーストラリアも戦争に加わりました。1915年4月25日のガリポリ上陸は、のちに「アンザック・デー」として記念される日になりました。人口500万人足らずの国から41万6,809人が入隊し、6万人を超える人が亡くなりました。

目次
  1. 開戦
  2. ガリポリ(Gallipoli)
  3. 西部戦線
  4. 戦争の規模
  5. 徴兵をめぐる投票
  6. アンザック・デー
  7. 日本との違い・注意点
夜のオーストラリア戦争記念館(キャンベラ)のモノクロ写真
Photo: Michael / Unsplash

オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial、AWM)の第一次世界大戦のページ(新しいタブで開く)と、国立博物館(National Museum of Australia)の教材ページをもとにまとめます。

開戦

イギリスとドイツは1914年8月4日に戦争を始めました。オーストラリアはイギリスの自治領(dominion)だったため、自動的に戦争に加わりました。

最初の大きな作戦は、1914年9月11日のラバウル(Rabaul)への上陸です。オーストラリア海軍・陸軍遠征軍(ANMEF)が、ドイツの領土を占領しました。

ガリポリ(Gallipoli)

1915年4月25日、オーストラリアとニュージーランドの兵士が、トルコのガリポリ半島に上陸しました。上陸した場所は、今は「アンザック・コーブ(Anzac Cove)」と呼ばれています(国立博物館の教材ページ(新しいタブで開く))。

国立博物館が示す数字は次のとおりです。

項目内容
上陸の日の死傷者その日の夕方までに2,000人が死亡または負傷
戦った人約6万人のオーストラリア人
死者・負傷者約8,000人が死亡、1万8,000人が負傷
先住民少なくとも50人、多ければ70人のアボリジナルとトレス海峡諸島民。当時は市民権から除外されていた
トルコ側祖国を守るために8万5,000人の兵士が死亡
期間9か月

国立博物館は、ガリポリの作戦は軍事的には失敗だったとしています。連合軍の撤退が始まったのは1915年12月です。

国立博物館は、上陸が連邦の成立(1901年)からわずか14年後だったことにも触れています。厳しい条件の中で示された勇気、工夫、忍耐、仲間意識(mateship)は、オーストラリアの人々の特徴として語られるようになりました。

西部戦線

AWMのページでは、オーストラリア軍は1916年7月、西部戦線のフロメル(Fromelles)で初めて戦い、24時間で5,533人の死傷者を出しました。その年の終わりまでに、西部戦線で約4万人が死亡または負傷しました。

ドイツは1918年11月11日に降伏しました。

戦争の規模

AWMは、第一次世界大戦を、オーストラリアにとって最も犠牲の大きい戦争としています。

項目数字
当時の人口500万人足らず
入隊した男性41万6,809人
死者6万人を超える
負傷・ガス被害・捕虜15万6,000人

徴兵をめぐる投票

国立博物館の教材ページにあるとおり、1916年と1917年に、男性を徴兵(conscription)すべきかどうかを国民に問う投票が2回行われました。

日付結果
1916年10月28日反対が3.2ポイント上回り、否決
1917年12月20日反対多数で否決

投票を進めたのは、ビリー・ヒューズ(Billy Hughes)首相です。1回目の投票の後、ヒューズは労働党から除名されました。ヒューズと24人の議員は、野党の自由党と合流して国民党(Nationalist Party)をつくりました。

この2回の投票は、オーストラリア選挙管理委員会(AEC)の憲法改正の国民投票の一覧には含まれていません。憲法改正の国民投票は「国民投票(憲法改正)」で扱っています。

アンザック・デー

ANZACは「オーストラリア・ニュージーランド軍団(Australian and New Zealand Army Corps)」の略です。最初のアンザック・デーの記念行事は、1916年4月25日に開かれました。

国立博物館の教材ページの説明では、上陸の日の4月25日は、1916年に連邦政府が「アンザック・デー」と定めました。1927年に、初めてすべての州で祝日になりました。

日本との違い・注意点

  • 4月25日のアンザック・デーは、今も全国で記念行事が開かれる日です。祝日と行事は「アンザック・デー」にまとめています。
  • キャンベラのオーストラリア戦争記念館では、戦争の歴史を展示しています。街の案内は「キャンベラ」へ。
  • 第二次世界大戦については「第二次世界大戦」、歴史全体の流れは「歴史の概要」でまとめています。

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