第一次世界大戦とガリポリ(First World War and Gallipoli)
1914年8月、イギリスとドイツの開戦により、オーストラリアも戦争に加わりました。1915年4月25日のガリポリ上陸は、のちに「アンザック・デー」として記念される日になりました。人口500万人足らずの国から41万6,809人が入隊し、6万人を超える人が亡くなりました。
オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial、AWM)の第一次世界大戦のページ(新しいタブで開く)と、国立博物館(National Museum of Australia)の教材ページをもとにまとめます。
開戦
イギリスとドイツは1914年8月4日に戦争を始めました。オーストラリアはイギリスの自治領(dominion)だったため、自動的に戦争に加わりました。
最初の大きな作戦は、1914年9月11日のラバウル(Rabaul)への上陸です。オーストラリア海軍・陸軍遠征軍(ANMEF)が、ドイツの領土を占領しました。
ガリポリ(Gallipoli)
1915年4月25日、オーストラリアとニュージーランドの兵士が、トルコのガリポリ半島に上陸しました。上陸した場所は、今は「アンザック・コーブ(Anzac Cove)」と呼ばれています(国立博物館の教材ページ(新しいタブで開く))。
国立博物館が示す数字は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 上陸の日の死傷者 | その日の夕方までに2,000人が死亡または負傷 |
| 戦った人 | 約6万人のオーストラリア人 |
| 死者・負傷者 | 約8,000人が死亡、1万8,000人が負傷 |
| 先住民 | 少なくとも50人、多ければ70人のアボリジナルとトレス海峡諸島民。当時は市民権から除外されていた |
| トルコ側 | 祖国を守るために8万5,000人の兵士が死亡 |
| 期間 | 9か月 |
国立博物館は、ガリポリの作戦は軍事的には失敗だったとしています。連合軍の撤退が始まったのは1915年12月です。
国立博物館は、上陸が連邦の成立(1901年)からわずか14年後だったことにも触れています。厳しい条件の中で示された勇気、工夫、忍耐、仲間意識(mateship)は、オーストラリアの人々の特徴として語られるようになりました。
西部戦線
AWMのページでは、オーストラリア軍は1916年7月、西部戦線のフロメル(Fromelles)で初めて戦い、24時間で5,533人の死傷者を出しました。その年の終わりまでに、西部戦線で約4万人が死亡または負傷しました。
ドイツは1918年11月11日に降伏しました。
戦争の規模
AWMは、第一次世界大戦を、オーストラリアにとって最も犠牲の大きい戦争としています。
| 項目 | 数字 |
|---|---|
| 当時の人口 | 500万人足らず |
| 入隊した男性 | 41万6,809人 |
| 死者 | 6万人を超える |
| 負傷・ガス被害・捕虜 | 15万6,000人 |
徴兵をめぐる投票
国立博物館の教材ページにあるとおり、1916年と1917年に、男性を徴兵(conscription)すべきかどうかを国民に問う投票が2回行われました。
| 日付 | 結果 |
|---|---|
| 1916年10月28日 | 反対が3.2ポイント上回り、否決 |
| 1917年12月20日 | 反対多数で否決 |
投票を進めたのは、ビリー・ヒューズ(Billy Hughes)首相です。1回目の投票の後、ヒューズは労働党から除名されました。ヒューズと24人の議員は、野党の自由党と合流して国民党(Nationalist Party)をつくりました。
この2回の投票は、オーストラリア選挙管理委員会(AEC)の憲法改正の国民投票の一覧には含まれていません。憲法改正の国民投票は「国民投票(憲法改正)」で扱っています。
アンザック・デー
ANZACは「オーストラリア・ニュージーランド軍団(Australian and New Zealand Army Corps)」の略です。最初のアンザック・デーの記念行事は、1916年4月25日に開かれました。
国立博物館の教材ページの説明では、上陸の日の4月25日は、1916年に連邦政府が「アンザック・デー」と定めました。1927年に、初めてすべての州で祝日になりました。
日本との違い・注意点
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