1999年の共和制の国民投票(1999 Republic Referendum)
ひとことで言うと
1999年11月6日、オーストラリアを共和制にする案と、憲法に前文を入れる案の2つが国民投票にかけられ、どちらも否決されました。共和制の案は全国の賛成が45.13%で、過半数の賛成があったのはACTだけでした。
1999年の国民投票とは
1999年11月6日(土)、憲法を変える2つの案について国民投票(referendum)が行われました。オーストラリア選挙管理委員会(Australian Electoral Commission、AEC)の1999年の国民投票の報告(新しいタブで開く)をもとにまとめます。
問われた2つの案
| 案 | AECの報告にある内容 |
|---|---|
| 共和制(Republic) | オーストラリアを共和国にする。国王と総督の代わりに、連邦議会の議員の3分の2の多数で任命される大統領(President)を置く |
| 前文(Preamble) | 憲法に前文を入れる |
主な日程
AECの報告による日程です。
| 日付 | できごと |
|---|---|
| 1998年2月2〜13日 | キャンベラの旧国会議事堂(Old Parliament House)で憲法会議(Constitutional Convention)が開かれ、共和制にするかどうかが公に議論される |
| 1999年8月12日 | 国民投票の実施が発表される |
| 1999年10月1日 | 令状(writ)が出される |
| 1999年10月8日20時 | 選挙人名簿の締め切り |
| 1999年11月6日 | 投票日(8時〜18時) |
名簿の締め切りの時点で、1,236万1,694人が連邦の選挙人名簿に登録していました。全国の投票率は95.1%でした。
賛成・反対の主張のパンフレット
有権者には、賛成(Yes)と反対(No)の主張をまとめたパンフレットが配られました。1999年9月20日から、英語と14の言語でAECのサイトに載せられ、9月27日から10月22日にかけて各家庭に届けられました。点字や大きな文字の版なども用意されました。
結果
2つの案は、どちらも「二重の過半数(double majority)」の賛成を得られず、否決されました。
共和制の案の結果は次のとおりです。
| 州・準州 | 賛成 | 反対 |
|---|---|---|
| ニューサウスウェールズ州(NSW) | 46.43% | 53.57% |
| ビクトリア州(VIC) | 49.84% | 50.16% |
| クイーンズランド州(QLD) | 37.44% | 62.56% |
| 西オーストラリア州(WA) | 41.48% | 58.52% |
| 南オーストラリア州(SA) | 43.57% | 56.43% |
| タスマニア州(TAS) | 40.37% | 59.63% |
| オーストラリア首都特別地域(ACT) | 63.27% | 36.73% |
| 北部準州(NT) | 48.77% | 51.23% |
| 全国 | 45.13% | 54.87% |
過半数の賛成があったのはACTだけでした。ACTは州ではないため、州ごとの過半数には数えられません。
前文の案は、全国の賛成が39.34%、反対が60.66%でした。どの州・準州でも賛成は過半数になりませんでした。
日本との違い・注意点
- 国民投票の後も、オーストラリアは国王を元首とする立憲君主制のままです。国王と総督の役割は「国家元首と総督」にまとめています。
- 憲法改正には、全国の過半数と、6州のうち4州以上の過半数の両方が必要です。仕組みは「国民投票(憲法改正)」で説明しています。
- ほかの国民投票は「1967年の国民投票」と「2023年の国民投票」で扱っています。
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