シドニー湾攻撃(Attack on Sydney Harbour, 1942)
ひとことで言うと
1942年5月31日の夜から6月1日にかけて、日本の特殊潜航艇3隻がシドニー湾を攻撃しました。宿泊船として使われていたクッタブル号が沈み、眠っていた水兵21人が亡くなりました。特殊潜航艇は3隻とも失われました。
湾内への攻撃
第二次世界大戦中の1942年、日本の特殊潜航艇がシドニー湾を攻撃しました。その経過を、オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial、AWM)のページ(新しいタブで開く)にもとづいて表にまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 日時 | 1942年5月31日の夜から6月1日 |
| 攻撃した艦 | 日本の特殊潜航艇(midget submarine)3隻。湾の入り口(the Heads)の沖で待っていた大型潜水艦5隻から発進した |
| 特殊潜航艇 | 3隻とも失われた。2隻は魚雷を撃つ前に撃沈された |
| 被害 | 3隻目がアメリカの重巡洋艦シカゴを狙って魚雷を撃ったが外れ、フェリーを改造した宿泊船クッタブル号(HMAS Kuttabul)が沈んだ。眠っていた水兵21人が亡くなった |
1週間後の砲撃
攻撃の1週間後、大型潜水艦2隻が戻り、甲板の砲でシドニーとニューカッスルを砲撃しました。1隻はニューカッスルを20分間砲撃し、沿岸砲台の反撃で退きました。もう1隻はシドニー東部に10発を撃ち込みました。被害は小さく、住民の間には恐怖よりも好奇心が広がったようだと、AWMは説明しています。
戦争記念館の特殊潜航艇
AWMが所蔵する特殊潜航艇は、2隻の部品を組み合わせたものです。
- 艦首:テイラーズ湾(Taylor’s Bay)で爆雷によって沈んだ艦(Ha-21)
- 中央部と艦尾:別の艦(Ha-14)
組み合わせた艇は、1943年に海軍の救援基金(Naval Relief Fund)の募金のため、オーストラリア各地を巡回しました。
乗組員の葬儀
亡くなった日本の乗組員は、オーストラリアによって軍の礼を尽くした葬儀で送られました。AWMは、日本にとらわれていたオーストラリア人捕虜の扱いがよくなることを願っての対応だったとしています。遺骨は火葬され、当時の駐オーストラリア日本大使によって日本に持ち帰られました。
日本との違い・注意点
- 特殊潜航艇はオーストラリア戦争記念館が所蔵しています。展示の状況は「オーストラリア戦争記念館」と、記念館の公式ページで確認してください。
- 同じ年の北部への空襲は「ダーウィン空襲」、日豪関係の全体の流れは「日豪関係の歴史」で扱っています。
- この記事は、オーストラリアの公的機関のページにもとづいて出来事をまとめたもので、出来事の評価は扱いません。
この記事をシェアする
次に読むならこれ
日本との関係日豪友好協力基本条約(Basic Treaty of Friendship and Cooperation between Australia and Japan)日豪友好協力基本条約は、1976年6月16日に東京で、三木武夫首相とマルコム・フレーザー首相が署名した条約です。政治、経済、労働関係、人権など幅広い分野での相互理解と協力を確認しています。2026年は署名から50周年です。日本との関係ブルームの真珠産業と日本人(Japanese pearl divers in Broome)西オーストラリア州北西部のブルームは、1880年代の終わりにオーストラリアの真珠産業の中心になりました。深い海での危険な潜水を担ったのは、和歌山県などから来た多くの日本人ダイバーでした。町には日本人の墓地が残り、1981年から和歌山県太地町と姉妹都市の関係にあります。日本との関係カウラと日本(Cowra Breakout、日本人戦争墓地、日本庭園)ニューサウスウェールズ州(NSW)の町カウラには、第二次世界大戦中に捕虜収容所があり、1944年8月5日に日本人捕虜の集団脱走事件が起きました。戦後、日本人戦争墓地や日本庭園がつくられ、カウラは日豪の和解と交流の場所になっています。
関連する記事
日本との関係ダーウィン空襲(Bombing of Darwin)1942年2月19日、日本軍の航空機が北部準州のダーウィンを2回にわたって空襲しました。オーストラリア本土が受けた最初で最大の空からの攻撃で、2月19日は現在「ダーウィン空襲の日」として国の記念日になっています。日本との関係日豪関係の歴史(History of Australia-Japan relations)日本とオーストラリアの関係は、1800年代後半の石炭や羊毛の貿易と、真珠貝採取などで働いた日本人移民に始まります。第二次世界大戦の後、1952年に国交が回復し、1957年の通商協定、1976年の友好協力基本条約などで関係が広がりました。現在は「特別な戦略的パートナーシップ」と位置づけられています。日本との関係日本人墓地(Japanese cemeteries in Australia)オーストラリアには、日本人が眠る墓地がいくつかあります。代表的なのは、第二次世界大戦で亡くなった日本人などが眠るニューサウスウェールズ州(NSW)カウラの日本人戦争墓地と、真珠貝採取で亡くなった日本人ダイバーの墓が残る西オーストラリア州(WA)のブルームと、クイーンズランド州(QLD)の木曜島の墓地です。基礎知識第二次世界大戦(Second World War)1939年9月3日、メンジーズ首相がオーストラリアの参戦を発表しました。約100万人の男女が従軍し、3万9,000人が亡くなりました。1942年にはシンガポールが陥落し、ダーウィンが空襲を受け、太平洋での戦いがオーストラリアに迫りました。スポーツ・文化オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)首都キャンベラにある、戦争や作戦で亡くなったオーストラリア人を追悼する施設です。慰霊の場、博物館、資料館を兼ねています。入場は無料でチケットは要らず、毎日16時30分に追悼の式「ラスト・ポスト・セレモニー」が開かれます。地域ガイドシドニー(Sydney)ニューサウスウェールズ州の州都で、2021年国勢調査ではシドニー都市圏に約523万人が住んでいます。都市圏は多くのカウンシルに分かれ、ごみの回収などのルールは住所のカウンシルごとに違います。在シドニー日本国総領事館があり、名古屋市の姉妹都市です。