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日本との関係 / 日豪関係の歴史

カウラと日本(Cowra Breakout、日本人戦争墓地、日本庭園)

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ひとことで言うと

ニューサウスウェールズ州(NSW)の町カウラには、第二次世界大戦中に捕虜収容所があり、1944年8月5日に日本人捕虜の集団脱走事件が起きました。戦後、日本人戦争墓地や日本庭園がつくられ、カウラは日豪の和解と交流の場所になっています。

目次
  1. 日本とつながる町、カウラ
  2. 手順
  3. 費用
  4. 日本との違い・注意点

日本とつながる町、カウラ

カウラ(Cowra)は、ニューサウスウェールズ州(NSW)の中西部にある町です。カウラ・ブレイクアウトの出来事をきっかけに、町は日本と深い歴史的なつながりを持つようになりました(カウラ・カウンシルのページ(新しいタブで開く))。

カウラ・ブレイクアウト

第二次世界大戦中、カウラには捕虜収容所がありました。

  • 1944年8月5日、日本人捕虜の集団脱走事件が起きました(大使館のページ(新しいタブで開く))。
  • カウンシルの説明では、1,000人を超える日本人捕虜が集団で脱走し、日本人捕虜231人と、オーストラリア人4人が亡くなりました。
  • 大使館は、犠牲者を235人(オーストラリア人の収容所の衛兵4人を含む)としています。

収容所の跡地は、NSWの主要な文化遺産の一つとされています。今は跡地を歩く散策路があり、カウラの観光案内所(Cowra Visitor Information Centre)には収容所の模型があります。

日本人戦争墓地

戦後の1964年に完成した日本人戦争墓地には、集団脱走事件の犠牲者や、各地から集められた戦死者など522人の日本人が埋葬されています。

さかのぼって1960年、日本政府は、オーストラリア各地の日本の戦没者をカウラに改葬することを決めました。カウラ日本庭園のページ(新しいタブで開く)は、これをカウラと日本の友好の始まりと位置づけています。

カウラ日本庭園

カウラ日本庭園・文化センター(Cowra Japanese Garden & Cultural Centre)は、カウラの人々と日本の人々の関係を認め、発展させるためにつくられました。広さは12.5エーカーで、庭園のページは南半球で最大の日本庭園としています。園内には文化センター、ギフトショップ、カフェ。

桜祭り(Sakura Matsuri)や紅葉祭り(Koyo Matsuri)などの催しもあり、春の桜、秋の紅葉と、季節ごとの景色を楽しめると案内されています。

世界平和の鐘と平和の行事

カウラには、1992年に贈られたオーストラリアの「世界平和の鐘(World Peace Bell)」があります。国の平和の鐘はふつう首都に置かれますが、カウンシルの説明では、日本との強い関係と平和への取り組みから、カウラが選ばれました。毎年9月には、国連の国際平和デーに合わせて「世界平和デー」の行事が開かれます。

カウンシルは、日本とのつながりの例として、桜並木(Avenue of Cherry Trees)、日本庭園、戦没者墓地、桜祭りを挙げています。

慰霊の行事

毎年8月には、カウラ・ブレイクアウトの慰霊行事が行われます。80周年にあたる2024年8月4日と5日には、平和の鐘の式典、ランタン・パレード、慰霊式、献花式などが行われたと大使館が伝えています。日本からも政府関係者などおよそ100人が参加し、オーストラリアの首相がカウラの日豪の戦没者墓地を訪れて献花しました。

手順

  1. 捕虜収容所跡と散策路、観光案内所の展示で、事件の経緯を知る。
  2. 日本人戦争墓地とオーストラリア人戦没者墓地を訪れる。
  3. 日本庭園・文化センターを見学する。開園時間や催しの日程は庭園のページに載っています。

費用

カウラ日本庭園の1日の入園料は、大人A$22.00、子ども(小学生)A$12.00、家族A$52.00などです(2026年10月時点)。祭りの期間は料金が異なります。最新の料金は庭園のページ(新しいタブで開く)で確認してください。

日本との違い・注意点

  • 墓地や慰霊の場所では、静かに敬意をもって見学してください。
  • 庭園は平らではなく、移動に配慮が必要な人には向かない場所もあると案内されています。押して使う車いすの貸し出しがあります。
  • 日豪関係の流れは「日豪関係の歴史」に、催しの探し方は「日本関連のイベント」にまとめています。

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