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日本との関係 / 日豪関係の歴史

日豪経済連携協定(Japan-Australia Economic Partnership Agreement、JAEPA)

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ひとことで言うと

日豪経済連携協定(日豪EPA、JAEPA)は、日本とオーストラリアの間で関税を段階的に下げたりなくしたりし、サービスや投資のルールも定めた協定です。2014年7月8日に署名され、2015年1月15日に発効しました。

目次
  1. 協定ができるまで
  2. 日本との違い・注意点
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協定ができるまで

日豪経済連携協定(日豪EPA、Japan-Australia Economic Partnership Agreement、JAEPA)は、日本とオーストラリアの2国間の経済連携協定です。交渉から発効までの流れを、外務省のページ(新しいタブで開く)と外務貿易省(Department of Foreign Affairs and Trade、DFAT)のページ(新しいタブで開く)をもとに表にしました。

時期出来事
2007年4月交渉の第1回会合
2014年4月大筋合意
2014年7月8日協定に署名
2014年12月16日発効のための外交上の公文を交換
2015年1月15日発効。第1回合同委員会を開催

DFATは、この協定がオーストラリアの輸出業者に有利な市場参入を提供し、両国の投資の拡大を支えていると説明しています。両国の企業が協定の特恵を使っている割合は95%を超え、オーストラリアで最もよく使われている協定の1つだそうです。

協定の主な内容

協定は20の章からなります。おもな分野は次の表のとおり。

分野主な内容
物品の貿易それぞれの国の約束の表に沿って、関税を段階的に下げたりなくしたりする。輸出税や輸出補助金は禁止
原産地規則協定の関税を使える「原産品」の条件と、証明の方法を定める
食料の供給「重要な食料」の供給が大きく減る見込みのときに協議する
エネルギー・鉱物資源供給が大きく止まったときなどに協議する
サービス市場参入や内国民待遇などを、例外を表にする方式(ネガティブリスト方式)で約束する
人の移動両国間の貿易・投資に関わるビジネス関係者の一時的な入国を認める
電子商取引電子的な送信に関税をかけない。オンラインの消費者や個人データを保護する
投資投資家への内国民待遇、最恵国待遇、収用のときの補償などを定める
知的財産特許、商標、著作権などの保護

ほかの協定との関係

オーストラリアと日本の間には、日豪EPAのほかに、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)と、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定もある、とDFATは整理しています。

日本とのちがいと注意点だよ!

  • 協定の関税の扱いは品目ごとに違います。品目ごとの関税は、DFATの自由貿易協定のポータル(FTA Portal)で調べられます。輸出入の手続きは、豪州国境警備隊(ABF)や日本の税関などの公式窓口で確認してください。
  • 両国の貿易の規模や主な品目は「日豪の貿易」、関係の歴史は「日豪関係の歴史」にまとめています。

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