木曜島と日本人(Thursday Island and the Japanese)
ひとことで言うと
クイーンズランド州(QLD)のトレス海峡にある木曜島では、1880年代から多くの日本人が真珠貝採取のダイバーとして働きました。1878年から1941年までにトレス海峡で700人以上の日本人が亡くなり、木曜島の墓地には700を超える日本人の墓があります。
トレス海峡の島と日本人
木曜島(Thursday Island)は、QLDのトレス海峡(Torres Strait)にある島です。1880年代から第二次世界大戦の前まで、この海域の真珠貝採取(pearling)では、多くの日本人がダイバーとして働きました。
真珠貝採取と日本人ダイバー
クイーンズランド州立図書館(State Library of Queensland)のページ(新しいタブで開く)をもとに、主な流れを年表にしました。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1880年代初め | ミラー船長(Captain A. Miller)が、真珠貝採取などに日本人ダイバーを使い始めた最初の1人とされる |
| 1920年代半ば | 真珠貝採取で働くダイバーのほぼ100%が日本人になった |
| 1878〜1941年 | トレス海峡で700人以上の日本人が亡くなり、その半数以上が21歳未満だった |
| 第二次世界大戦の始まり | 多くの日本人が収容され、後に日本へ送り返された。日本人の影響はここで終わった |
亡くなった人の死因で最も多かったのは潜水病(the bends)だった、とトレス・シャイア・カウンシル(Torres Shire Council)のページ(新しいタブで開く)は伝えています。
木曜島の墓地
広さ3ヘクタールの木曜島墓地には、イスラム教徒、仏教徒、日本人、太平洋諸島の人々、トレス海峡諸島民が眠っています(カウンシル)。現在、島にある日本人の墓は700を超えます。
1979年8月15日には、亡くなった人々を追悼する記念碑が墓地に建てられました。碑文には、およそ700人の日本人がトレス海峡の地域で亡くなったことが記されています。
文化遺産登録簿の記録
木曜島墓地は、クイーンズランド州の文化遺産登録簿(Queensland Heritage Register)に、日本人墓地を含む墓地として登録されています。登録簿には、次のようなことが記録されています。
- 墓地は1887年ごろにでき、今も埋葬が行われている。
- 敷地の中にある大きな日本人ダイバーの墓地は、トレス海峡の真珠貝産業で日本人が果たした役割と、その仕事の危険さを示すものとされている。
- これほど大きく古い日本人墓地があるのは、QLDでは珍しいとされている。
- 日本人の墓には、日本の文字を刻んだ御影石の墓標や、日本の文字を書いた木の柱がある。
- 1992年10月21日に、登録簿に正式に登録された。
日本とのちがいと注意点だよ!
- 墓地は追悼の場所です。訪れるときは、静かに敬意をもって見学してください。
- 島に暮らす人々のことは「トレス海峡諸島民」で紹介しています。
- 西オーストラリア州の真珠産業の日本人は「ブルームの真珠産業と日本人」、各地の日本人墓地は「日本人墓地」にまとめています。
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