ダーウィン空襲(Bombing of Darwin)
1942年2月19日、日本軍の航空機が北部準州のダーウィンを2回にわたって空襲しました。オーストラリア本土が受けた最初で最大の空からの攻撃で、2月19日は現在「ダーウィン空襲の日」として国の記念日になっています。
1942年2月19日に起きたこと
1942年2月19日、日本軍はダーウィンの港、飛行場、市街地を空から攻撃しました。退役軍人省(Department of Veterans’ Affairs、DVA)のAnzac Portal(新しいタブで開く)は、この日の2回の空襲を、オーストラリア本土に対する最初で最大の空襲としています。ヨーロッパ人の入植以来、外国の敵から本土が直接攻撃されたのは、これが初めてのことでした。
2回の空襲
この日の様子を、オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial、AWM)(新しいタブで開く)とDVAの説明からまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 1回目の空襲 | アラフラ海の空母から188機が発進し、港の船と町を攻撃。港では8隻が沈んだ |
| 2回目の空襲 | 同じ日に、爆撃機が主に空軍の飛行場を攻撃 |
| 死者 | 人数については歴史家の間で議論があり、DVAは250人以上と推定。そのうち民間人は約15人 |
| 主な被害 | 郵便局や行政官庁舎などの建物、空軍の飛行場。アメリカの駆逐艦ピアリーが沈み、88人が亡くなった |
日本軍の目的は、オランダ領東インド(現在のインドネシア)のティモールやジャワへの侵攻を連合国軍に妨げられないようにすることだった、とDVAは説明しています。当時心配されたような、オーストラリア侵攻の前触れではありませんでした。
その後の空襲
2月19日の空襲は、ダーウィン周辺への64回の空襲の最初の2回でした。最後の空襲は1943年11月12日。DVAのページでは、空襲は西オーストラリア州のブルームやクイーンズランド州のタウンズビルなど、北部の各地にも及びました。ダーウィンに次いで被害が大きかったのは、1942年3月3日のブルームへの空襲です。
ダーウィン空襲の日
2011年12月7日、総督が2月19日を国の記念日(National Day of Observance)「ダーウィン空襲の日(Bombing of Darwin Day)」と定めました(ダーウィン市のページ(新しいタブで開く))。毎年この日には、ダーウィンの戦没者記念碑(Cenotaph)で記念式典が開かれます。
日本との違い・注意点
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