先住民の歴史(History of Aboriginal and Torres Strait Islander peoples)
1788年の英国の植民地の始まりから、選挙権の拡大、1967年の国民投票、土地の権利の法律、1992年のマボ判決、2008年の国の謝罪までの主なできごとを、国立博物館や選挙管理委員会などの説明をもとに年表でまとめます。
1788年からの歩み
アボリジナルとトレス海峡諸島民は、植民地化より前から、6万年以上にわたってこの大陸と島々に暮らしてきた人々です。この記事では、1788年以降の主なできごとを、国の機関の説明をもとにまとめます。
植民地の始まり
1788年1月26日、アーサー・フィリップ(Arthur Phillip)が率いる11隻の船団「ファースト・フリート(First Fleet)」が、シドニー・コーブ(今のサーキュラー・キー)に流刑植民地をつくりました(国立博物館のページ(新しいタブで開く))。国立博物館は、これがヨーロッパによるオーストラリアの植民地化の始まりだとしています。
- この土地の伝統的な所有者であるエオラ(Eora)の人々の暮らしは、大きく変わりました。
- 入植者とエオラの人々の衝突は、植民地ができてすぐに始まりました。
- 天然痘などの病気で、多くのエオラの人々が亡くなりました。
国立博物館の説明では、英国は、土地が誰のものでもないという「テラ・ヌリウス(terra nullius)」の考え方で、土地の所有を主張しました(マボ判決のページ(新しいタブで開く))。
年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1788年 | ファースト・フリートがシドニー・コーブに到着し、植民地がつくられる |
| 1901年 | 連邦の憲法が施行される。憲法には先住民を除外する2つの規定(第51条26号と第127条)があった |
| 1902年 | 連邦の選挙権の法律(Commonwealth Franchise Act 1902)が、先住民を投票から除外した |
| 1938年 | オーストラリア・デーに、シドニーで「追悼の日(Day of Mourning)」の行進と集会が行われる |
| 1962年 | 連邦の選挙法が改正され、すべての先住民が連邦選挙で登録・投票できるようになる |
| 1965年 | クイーンズランド州が、州の選挙で先住民の投票を認める(最後の州) |
| 1966年 | ウェーブヒル牧場(Wave Hill)でグリンジ(Gurindji)の人々がストライキを始める |
| 1967年 | 国民投票で憲法が改正される |
| 1976年 | 北部準州の土地の権利の法律(Aboriginal Land Rights (Northern Territory) Act)が成立する |
| 1984年 | 連邦選挙での先住民の登録と投票が義務になる |
| 1992年 | 高等裁判所がマボ判決で先住権(native title)を認める |
| 1997年 | 子どもの強制的な引き離しについての報告書「Bringing Them Home」が出される |
| 2008年 | 連邦政府が「盗まれた世代」などへの正式な謝罪を行う |
| 2023年 | 先住民の代表機関「ボイス」を憲法に定める国民投票が行われ、可決されない |
1962年、1965年、1984年は選挙管理委員会(AEC)の年表(新しいタブで開く)、1938年はNAIDOCの歴史のページ(新しいタブで開く)、そのほかは国立博物館のページによります。
1967年の国民投票
1967年5月27日の国民投票で、約91%の人が憲法の改正に賛成しました。AECの記録では、賛成は90.77%で、6つの州すべてで賛成が多数でした。
改正の内容は次の2つです(AECの年表)。
- 先住民を人口の数に含めないとしていた第127条を削除する
- 第51条を改め、連邦議会が先住民についての法律をつくれるようにする
憲法は同じ年の8月10日に正式に改正されました。
土地の権利
1966年、ウェーブヒル牧場で働いていたグリンジの人々が、賃金の引き上げと土地の一部の返還を求めてストライキを始めました。運動は9年続きました。
1976年12月、連邦議会は北部準州の土地の権利の法案を可決しました。伝統的な結びつきを証明できれば、先住民が土地の権利を申し立てられるようにした、国内で最初の法律です。この法律で、4つの土地評議会(Land Council)がつくられました。
マボ判決
1992年6月3日、高等裁判所(High Court)は、エディ・マボ(Eddie Mabo)らトレス海峡諸島民が、メール島(Mer、マレー島)の伝統的な所有権を持つと認めました。
- 裁判所は、先住権がすべての先住民に存在しうると判断しました。
- 翌1993年に先住権法(Native Title Act 1993)が成立しました。
- 国立博物館は、この判決で「テラ・ヌリウス」が法的な作り話になったとしています。
判決は、先住権の申し立てが空いている国有地、国立公園、一部の賃借地などに限られるとしています。申し立てる人は、土地との伝統的な結びつきを保ってきたことを、裁判所か審判所で証明する必要があります。
子どもの引き離しと国の謝罪
先住民の子どもを家族から強制的に引き離した過去の政策で被害を受けた人々は、「盗まれた世代(Stolen Generations)」と呼ばれます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1995年 | 人権・機会均等委員会(Human Rights and Equal Opportunity Commission)による調査が始まる |
| 1997年 | 報告書「Bringing Them Home」がまとまる。54の勧告の中に、政府などによる謝罪が含まれた |
| 1997〜2001年 | 西オーストラリア州を最初に、すべての州・準州の政府が謝罪する |
| 2008年2月13日 | ケビン・ラッド首相が連邦議会で正式に謝罪する |
AIATSISは、こうした過去の政策が、言語と文化の継承にも大きな打撃を与えたとしています(AIATSISのページ(新しいタブで開く))。
日本との違い・注意点
- 1月26日のオーストラリア・デーは、1788年の植民地の始まりの日です。1938年には、この日に先住民の人々が「追悼の日」の抗議を行いました(NAIDOCの歴史)。この日については「オーストラリア・デー」にまとめています。
- 先住民の歴史は、地域や民族ごとに違います。訪れる土地の歴史は、その地域の博物館や公式の案内で確認しましょう。
- 国立博物館のサイトには、亡くなった人の写真・声・名前が含まれることがあるという、先住民の人々への注意書きがあります。
- 1967年の国民投票は「1967年の国民投票」、先住権は「先住権(Native title)」、謝罪は「2008年の国の謝罪」で詳しく扱います。
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